役に立たないと存在してはいけない、という勘違い

「生産性」という言葉が、
いつの間にか私たちの首を絞めている。

朝起きてから寝るまで、
私たちは無意識に自分を採点している。

今日はどれだけ仕事が進んだか。
どれだけ効率よく動けたか。
どれだけ「役に立つ」ことができたか。

何も生み出さなかった日には、
奇妙な罪悪感が残る。

ただ休んでいるだけなのに、
「サボっている」ような焦燥感に襲われる。

いつから私たちは、
「役に立たないと、生きていてはいけない」
と思い込まされてしまったのだろうか。

現代社会——
特にビジネスの世界では、
人間の価値は「機能(スペック)」で測られる。

処理速度が速いこと。
ミスをしないこと。
誰にでも代わりが務まること。
そして、安く済むこと。

これは、人間を「機械の部品」として見ているのと同じだ。

部品であれば、
役に立たなくなれば捨てられるのが道理だ。
だから私たちは必死になる。

錆びないように、
壊れないように、
最新のスペックにアップデートし続けようとする。

だが、断言する。
それは、人間としての戦い方ではない。

思い出してほしい。
あなたが「美しい」と感じるものや、
「大切だ」と思う時間のことを。

子供が道端で拾ってきた石ころ
あてもなく散歩する時間
花瓶に飾られた一輪の花

これらは、
効率の物差しで測れば「無駄」でしかない。
「役に立たない」ものだ。

しかし、
私たちの人生を豊かにしているのは、
間違いなくこうした
「役に立たないもの」たちだ。

合理性からはみ出した部分にこそ、
その人らしさ(OS)が宿り、
人間としての愛おしさが生まれる。

ORIGINが目指しているのは、
「役に立つかどうか」という呪いからの解放だ。

誤解しないでほしい。
仕事をサボれと言っているわけではない。

ただ、自分の存在価値を、
市場価値(値段や効率)だけで
測るのをやめよう
、ということだ。

あなたは、
何かを生産するから価値があるのではない。

その役割(OS)を持って、
そこに存在していること自体が、
全体の一部として機能している。

花は、誰かの役に立とうとして咲いているわけではない。

ただ、その特性のままに咲くことで、
結果として蝶を呼び、実を結ぶ。

もし今、あなたが「自分は役に立っていないのではないか」と苦しんでいるなら。

それはあなたが劣っているからではない。 「測る物差し」が間違っているだけだ。

効率という名の怪物の前で、
無理に役に立とうとしなくていい。

まずは、その「役に立たない自分」を許すことから始めよう

そこからしか、本当の意味での「良い仕事」は生まれないのだから。